夫婦だけじゃない
カサンドラ症候群とは、自閉スペクトラム症(ASD)などの特性を持つ家族とうまくコミュニケーションが取れず、その辛さが周囲に理解されにくい状況のことを指します。この記事では、私自身の体験と「神さまの前で必ず分かり合える日」についてお話しします。

こんにちは、にーたろーげ です♪
前回の記事では、自閉スペクトラム症ASDについて書きましたが、今回は当事者と生活を共にする人の目線に立ってお話してみようと思います。
カサンドラ症候群は一般的に夫婦間のことを指しますが、私の場合は「母と娘」でした。私自身がASDでありながら、母との関係でカサンドラ症候群も味わえるなんて、なんと贅沢な人生でしょう(笑)
ちなみに母はとても心が清らかでキュートな人です。一人娘として今も昔もかけがえのない存在です。そんな母との暮らしがどんな日常だったのか、それについて聖書はなんと言っているのか綴っていきます。
診断名がつく安心感
今でこそ、精神的な病気や、生まれつきの特性が世間に受け入れられるようになりましたが、昭和時代は「変わった人」という位置づけでした。
母は70代後半になってから統合失調症と診断されましたが、診断名がついて心がスッと軽くなりました。時おり、若いころに検査していたらASDもあったんじゃないかな?なんて思うこともあります。だって親子でそっくりなんですもの(笑)
会話がかみ合わない
昭和時代のわが家で食卓を囲んでいるとき、母は座らずに一人でキッチンに立っておりました。会話にも参加しながら洗い物をするなんて、超マルチタスクですよね。母にはそれが難しかったのです。
私「お母ちゃん、今日学校でねーー」
母「・・・」
私「ねえ、聞いてる?今日学校でね」
母「ヨーグルト食べる?」
私「・・・」
一見、こんなのはどこの家庭でもあるし、「お母さんにワガママ言っちゃだめだよ」と言いたくなりますよね。
実は、これがカサンドラ症候群の辛いところなのです。
ノイローゼと不登校

成長過程の子どもにとって、身近な母親とうまくコミュニケーションがとれないのは想像以上に苦しく、存在を認めてもらえない寂しさがつのります。
そして、もっともっと母や周囲に分かってもらおうと頑張って、ついにエネルギーを使い果たしてしまうのです。
結果、日常を送る力も、学校に行く力も無くなり、部屋に引きこもってしまいました。不登校になる原因はさまざまですが、私のように学校ではなく家庭に理由があるという生徒も存在するのです。
聖書はなんて言う?
分かってもらおうと必死になるほど、心がすり減ってしまう…そんなとき、私たちはどうしたら良いのでしょう。ちょっと聖書を開いてみました。
Ⅰコリント13:12
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
「そのとき」というのは、神さまの前に立つときのことです。つまり今は分かり合えなくても、いずれお互いに理解するときがくる。あの時のことも、この時のことも…という意味ですね。
な~んだぁ、それなら今必死にならなくてもいっか~(笑)
その痛みは愛だった

よく考えたら、通りすがりの人や知り合ったばかりの人に「私のすべてを分かって!」なんて言いませんよね。どっかの劇団員かと思われちゃう💦
では、どうしてあの頃カサンドラ症候群になるほど傷ついたのでしょう??聖書には、こんなみことばもあります。
箴言27:6
愛する者が傷つけるのは誠実による。憎むものは多くの口づけでもてなす。
愛しているからこそ食事を作り、娘のために苦労を惜しまなかった母。
愛しているからこそ、母にすべてを分かってほしかった娘。
このすれ違いを、神さまが見逃すはずがありません。「そのとき」になったら、きっとこんな風に言われるでしょう。
「あなたがたが互いに愛し合っていることを、わたしは知っていた。だからもどかしかったのだ」
って。神さまは、なんでもお見通しですからね~~~♪
おわりに・・・
今回は二つの記事にわたって、自閉スペクトラム症とカサンドラ症候群についてお伝えしました。今、このときも苦しんでいる方に届きますように。
最後までお付き合いくださり、ありがとうごさいました (#^^#)
聖書のみことば
~残るのは三つだけ~ Ⅰコリント13:13
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
出典:新改訳2017(©新日本聖書刊行会)
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